1972年生まれ 満48歳 豊田善隆さん(豊田鋼機株式会社 代表取締役)

Q.今までの人生を振り返ってみていかがでしょうか?
-大学を卒業し、5年ほど大阪の商社で勤め、27歳のときに萩に帰ってきて豊田鋼機に入社しました。入社してからは当時社長であった父と会社に対しての意見が合わず、何かにつけて言い合いになるばかりで、若い人はご存じでないでしょうが、ドラマ寺内貫太郎一家のようにちゃぶ台返しもあったり、母がよく泣いていたのを思い出します。今思うと本当に生意気な若造でした。
それから青年会議所に入会し、地域貢献・社会貢献とは何かを考えさせられながら36歳の時に代表取締役に就任しました。それまでも多くの経営者の方に出会い、色々と学ばせてもらいましたが、社長になり、「経営とは何か」「人生とは何か」と真剣に向き合い、本気で叱ってくれる、経営者の方との出会いが、私の人生でとても大きな転機となりました。それからの私の人間形成に大きく影響を与えています。
影響というところでは39歳の時に、母が亡くなりました。身内に死が訪れるという経験が初めてで、わかってはいたことですが「人間死ぬんだ」「もう2度と会えない別れは訪れるんだ」ということを感じ入りました。母が亡くなった年齢を基準に自分はあと何年くらいで死ぬかもしれないという発想になり、色々なことを逆算し、急いて無理していたように思います。そうして一昨年、創業100年を迎え、社長に就任してからも10年という節目の年。10年間好業績が続いていたこともあり、順調のように思えましたが、2018年の年末から2019年にかけて幹部を含む5名の社員が立て続けに退職するという事態が起こりました。社員一人ひとりの心や思考を気にすることなく、利益追求に目を向けていたばかりに、長年働いてくれていた社員でさえも辞めていく…。父と言い争い、必死になって経営してきた会社は、身を粉にして働いてきた社員が辞めたくなるような会社だったということを突き付けられ、とてもショックを受けました。そんなとき、古株の社員から「先代は厳しい中に優しさがありました。」という言葉を聞き、父の「人を大切にする経営」に気付かされました。今、父は認知症となっており相談にのってもらうこともできないという、何とも親不孝な半生だったと思います。

Q.年男を迎えるこの1年をどう過ごしたいとお思いですか?
-先ほどの話の続きにもなりますが、会社の在り方、労働環境等、継続的に改善できるよう変化を恐れずチャレンジしていきたいと思います。近年、物流拠点となる山口支店を小郡に設立し商圏を拡大しています。それに伴い採用にも力を入れており、現在入社1年未満の社員が13名という状況です。既存の社員と新たに入社してくれた社員、そしてこれから入社してくれる社員と共に、コンプライアンスを順守し、働き方改革を推し進めていきながら、利益追求型の企業から幸せを追求する企業へシフトしていける1年にしたいと考えています。既に取り組んでいることでは、社員一人ひとりが活躍できる場を提供できるよう、全社員面談を行い、社員の価値観や、やりたいことをヒアリングしています。また、レクリエーションなど、社員との交流の場を増やしたりと、楽しいと思える環境づくりを積極的に行なっています。楽しく仕事しないと、ワクワクするような商品であったりサービスの開発なんてできないでしょうからね。

Q.今後の人生をどのように歩んでいきたいとお考えですか?
-孔子の言葉に「五十にして天命を知る」とあるように、自分の使命を忘れず日々邁進していきたいと思います。「会社は誰のためにあるものか?」という原点を忘れず、豊田鋼機が「常に地域に必要とされるベストパートナー」といえる企業であり続けることを目指していきます。百年続いたからこうしなければならないと何かに囚われることはせず、変化を恐れず、受容し、ポジティブにチャレンジし続ける企業となれるよう、自らも常に新しい価値観を受け入れていこうと思います。新卒の社員ともなると息子と言ってもいいくらい年が離れていますので価値観も全然違います。その価値観を受け止められるよう、自分自身を常にバージョンアップしていきたいと思っていますし、自分とは違う新しい価値観が創っていく未来への可能性を信じてみたいなとも思っています。
また、雇用の創出や納税といった、企業としての社会的責任を全うし、私利私欲でなく社会正義を実行し続けることの重要さも忘れず、次世代へ紡いでいくことができればと思います。

LINEで送る