■まずは、料理の道に進まれた経緯、歩まれたこれまでの人生をお聞かせください。
河村氏:
実家がこの商売をしていましたから、高校を卒業する頃には「いずれはこの稼業を継ぐものだ」という思いが自然とありました。大学卒業後、調理師専門学校を経て、大阪の「吉兆」系列のお店で3年間修業をさせていただきました。
本音を言えば、もう少し向こうで修業を続けたかったんです。しかし当時、実家の店を任せていた板前さんが不在になるという事情がありまして、修業半ばではありましたが、急遽呼び戻される形で萩に帰ってきました。それが今から35年ほど前のことです。
実は、僕とこの「割烹千代」は同い年なんですよ。今年でちょうど創業60周年。僕の誕生日は9月で店は7月創業と時期も近く、祖父母が始め、母が守ってきたこの店と共に、僕の人生はずっとありました。まさに店と共に歩んだ60年ですね。
■創業60年ということは、今の店舗はどこかのタイミングで建てられたのですか?
河村氏:
帰ってきて1年もしないうちに、母に頼み込んで大改装をしました。
それまで身を置いていたお店が結構高級なお店だったこともあり、萩には高級店に出される素晴らしい食材が多くあり、「この極上の食材を提供するのに、食材に見合う、きちんとした舞台を作らなければ」という強い想いがありました。
当時はまだ若かったので、今思えば「若気の至り」もありましたし、借金をしての勝負でしたが、「食材は天然もの、地元のもの」というこだわりを守りつつ、自分のスタイルを確立できたことが、今の千代の土台になっていると思います。
■河村さんはご自身のお店のことだけでなく、萩市全体の「食」のイベントや活動にも精力的に関わってこられました。
河村氏:
よそに出てみて、「萩の食の素晴らしさ」を再認識したと同時に、「もっとこの街を盛り上げなければ」という気運が自分の中で高まりました。
食というのは、旅の思い出の1ページに残る非常に大切な要素です。自分のお店だけが良ければいい、という考えではダメなんです。
「萩御膳」の企画や、漁協との連携、グルメイベントへの参加など、組合の仲間たちと一緒に様々な活動をしてきました。街全体の食のレベルが底上げされ、萩という街自体に魅力が生まれれば、結果として巡り巡って自分の商売にも繋がると信じています。
「萩の食で街を盛り上げよう」という空気感を、組合や仲間たちと共に高めてこられたことは、私の誇りでもあります。
■35年の道のりの中で、やはりコロナ禍は大きな出来事でしたか
河村氏:本当に大打撃でした。AI時代が訪れようとも「食べる」「おもてなしをする」という仕事は絶対になくならないと思っていましたが、最初にダメになったのが飲食でしたから。信じていたものが覆されたショックがありました。
ですが、それを乗り越えて、昨年、2人の息子が萩に帰ってきてくれました。
実は、上の息子は、これまで飲食とは全く違う仕事をしていました。一度は違う世界を見て、その上で「家業に入る」と決めて、未経験から一歩を踏み出してくれました。下の子は、大学卒業後、大阪の料理店で修業した後に帰ってきてくれました。
息子たちが帰ってきてくれたことで、また「千代」の新しいページがめくれたな、というワクワク感があります。私自身のモチベーションもまたリセットされ、新たなスタートを切れた気がしています。
■60歳を迎えるこの年をどのような1年にしたいですか。
河村氏: やはり一番は「健康」ですね。何をするにも万全の体調があってこそですので、健康に気を付けて、お酒を嗜みつつ(笑)、良い1年にしたいと思います。また、50周年のときに周年イベントを開催したように、夏から秋にかけて、60周年という節目に際し、私と人生を共にしてきた『千代』の還暦を機に、日頃の感謝を込めたささやかな宴を開催したいと考えています。
■最後に、今後の展望をお聞かせください。
河村氏:今、うちには息子たちを含めて20代の若い調理スタッフが6人もいるんです。20歳の頃から10年勤めてくれている女性スタッフや、県外から来てくれた子もいます。
彼らが長く、希望を持って働ける環境を作るため、飲食業界、特に地方の個人店では珍しいかもしれませんが、「週休2日制」「8時間労働」を導入しています。
かつてのような「見て覚えろ」「休みなしが当たり前」という環境では、今の若い子はついてきてくれません。
もしここで僕らが良い環境を作らなければ、人材が育たず、技術が継承されず、萩の飲食文化そのものが廃れてしまうという強い危機感があります。
給料や休みといった待遇を整え、彼らが「萩で、この仕事がしたい」「この仕事は楽しい」と思える環境を作るのが、僕ら世代が果たすべき、街に対する役割だと思っています。
そうすることで、これからは息子や、若いスタッフたちが中心となって、新しい感性で「千代」を作っていってくれると信じています。
私はその土台となる環境を整え、彼らを見守りながら、萩全体の「食」がさらに盛り上がるよう、微力ながら貢献していきたいです。
