萩市が世界遺産登録を目指して、本格的に取り組み始めた平成18年以降、約10年間に渡り、市の担当者として尽力され、登録決定の功労者のおひとりである萩市世界文化遺産課課長の阿武宏さんにお話を伺いました。
Q.世界遺産に登録され、率直な感想をお聞かせください。
A.直前に外交的な問題が発生し、心配をしましたが、無事に登録が決定し、とりあえずはホッとしたというのが率直な感想ですね。
Q.登録された萩市の5つの資産は、どういったところが評価されたのでしょうか?
A.今回、登録された世界遺産は、8県11市の23資産で構成されています。これらは、幕末から明治末までの日本の近代化・工業化を物語っており、50年余りというわずかな期間に、自力で西洋技術を導入し、在来技術と融合させて産業の近代化を成し遂げたことは、世界史の観点から見て、奇跡的なことであることが評価されました。その中でも、萩の5資産は、近代化の最初期にあたります。萩反射炉は「製鉄」の分野において、そして、和船の技術を使って西洋式軍艦を建造した恵美須ヶ鼻造船所跡では、在来技術である大板山たたらの鉄が使用されたことから、恵美須ヶ鼻造船所跡と共に大板山たたら製鉄遺跡が「造船」の分野において世界遺産として認定されました。それぞれの分野での近代化への試行錯誤を示している資産ですが、ここから50年余りで、北九州エリアの官営八幡製鉄所や長崎エリアの三菱長崎造船所へとつながっていくことから、いかに日本の近代化が劇的に発展していったのかということがわかるのではないかと思います。そして、近代化や工業化を進めるうえで、数多くの人材を輩出した松下村塾と、近代化を推し進めた西南雄藩の中でも、当時の封建社会の様子を色濃く残していることから萩城跡を含む萩城下町も資産に含まれています。他エリアの資産も合わせて見ていただくことで、日本の社会や景観の変化、そして、世界遺産としての価値もご理解いただけるのではないかと思います。
Q.約10年間、登録に向けて尽力された中でのエピソードをお聞かせください。
A.日頃、日本史の観点で文化財を見がちですが、世界遺産は、世界史の観点から、外国の方が見た価値付けを考えていかなければなりませんでした。中でも、印象に残っているのが萩城跡についてです。日本では、一般的に天守閣を復元しているほうが良いように思いますが、明治初期の廃城令により、全国に先駆けて城を解体した萩城跡は、まさに封建社会の終焉を示しており、だからこそ、価値があるということを外国の専門家の方がおっしゃっていました。天守閣が復元されていれば、世界遺産として価値は薄れていたわけで、これが世界史的な見方なのだなと感じました。
Q. 世界遺産登録により、今後、どんなことが期待されるでしょうか?
A.萩市が更に発展していく機会になったら良いですね。経済面はもちろんですが、世界遺産となった資産が、地域の方たちにとっての誇りとなれば、今後も大切に保存されていくことと思います。これまで市民の方たちが熱心に守ってこられたからこそ、萩には様々な文化財が残っているので、これを機に、より一層、皆さんで一緒に守り続けていけたら良いですね。
Q.一方で、今後の課題についてお聞かせください。
A.萩城下町や松下村塾は、観光客の受け入れ体制が整っていますが、その他の資産は十分とは言えず、駐車場や便益施設の整備が必要です。また、4月からはガイドが常駐し、パネルも設置してはいますが、恵美須ヶ鼻造船所跡のように、これから発掘調査を行うため、今現在は一見しただけではどういったものだったのかわかりにくい資産もあります。そういった資産についてもご理解いただけるような方法を考えたり、ガイドを育成したりすることで案内の質を高めていくことが大切ですし、外国人観光客の受け入れ体制も課題の一つだと思います。
Q. 北浦うぇぶをご覧の皆様へ、一言お願いいたします。
A.ぜひ、この機会に、実際に5資産を見て知っていただき、市外から訪れた方たちを案内していただけたら嬉しいですね。
ありがとうございました。