Uターン人インタビュー&庭園カフェ・畔亭リニューアル 畔合 守さん(31歳)

今年1月、栃木よりUターンし、ご両親が営んでいる庭園カフェ・畔亭に身を置く畔合 守(くろごう まもる)さん。2月より改装工事に入り、この3月9日にリニューアルオープンした庭園カフェ・畔亭についても聞いてきました。

■先ずは、萩に戻られるまでをお聞きしたいのですが、その前に、この北浦では珍しい畔合とう苗字についてお伺いしたいです。お父様の姓は吉井ですよね?婿養子に行かれたのですか?
-いえ、畔合は母方の姓です。母は東京の出ですが、畔合家に跡取りがおらず、兄弟3人の中で末っ子の私が畔合家を継ぐこととなり、幼少の頃から畔合を名乗っていました。

■そうでしたか!畔亭の「畔」は畔合からとったものでもあるのですね!それでは、その生い立ちから聞かせてください。
-はい。父が商社マンだったころ赴任先のオーストラリアで生を受けました。とはいえ、2歳の頃に日本に戻ってきたので記憶はありません。その後、中学2年生まで千葉に住み、父が退職し帰郷するのにあわせて、私も萩に移り住みました。

■中学生という多感な時期、萩に引っ越してきてどのように感じられましたか?
-千葉といえど結構田舎でしたし、小学生の行動範囲って狭いですから、千葉での生活と萩での生活に差を感じませんでしたね。転校して直ぐに友達もできましたし、高校卒業まで楽しく過ごさせてもらいました。

■高校卒業後は?
-パティシエになりたいなと東京の栄養専門学校に通い、専門学校卒業後は1年ほど同校のアシスタントをし、その後、イタリアン、フレンチと洋食レストランに勤めていました。丁度その時期にバリスタの方と出会い、コーヒー文化の奥深さを知りました。
25歳のときに、独立し、東京の渋谷でカフェレストランを始めたのですが、なかなか思うような売上げにならず、カフェを提供するにはコーヒーの力が弱いことを痛感しました。そうして、本格的にコーヒーを学ぼうと開店して2年でお店をたたみ、バリスタになるべく、コーヒースタンドで働きながら学んでいました。

■萩に移住するきっかけは?
-きっかけはというと、東京でお店を出していたとき、帰省して畔亭の売上げを父から聞いたことです。驚くことに私のお店と売上げが変わらなかったのです。席数の違いもありますが、正直驚きました。都会と同じくらい稼げるのなら、家賃も安い田舎の方がビジネス的に魅力的だなと感じました。また、コーヒースタンドで働いていたときは妊活中でもあったので、子どもが産まれたら、萩で暮らそうと決めていました。都会で働くサラリーマンの方から、子どもと会えない生活を良く聞いていたので、子どもの身近に居れて、働き、生活できる環境というところでも魅力を感じていました。

■お子さんが生まれ、この度Uターンに至ったというわけですね!
-はい。ただ、正直なところ学生時代萩にいたのは4年ほどでしたので、UターンよりIターンに近いかなと思います。故郷というか、今、親が住んでいるところって感じで、戻ってきたというより稼ぐために萩に来たって感じですね。

■リニューアルした畔亭のコンセプトをお聞かせください。
-日本庭園が眺めれる和のおもむきがありつつも、洋食、カフェといった洋のものが融合できる空間というものをコンセプトにしています。イタリアンやフレンチ、そしてバリスタといった洋のものしか提供できないですし、今から和食を学ぶには時間がかかり、その道の修行を始めるとなると、萩に来た理由のひとつ、子どもの身近にいて、日々の成長を感じることができなくなるでしょう。そうなると萩に来た意味がなくなってしまうので、今ある強みを活すというところで和と洋が融合するデザインをデザイナーに頼みました。

■萩に来られリニューアルオープンまでで大変だったことはありますか?
-提供する料理の試作を繰り返しチャレンジしていましたが、これは大変なことかといえば、思いがけない発見があったりして、労働的には大変ですけど楽しんでいました。あと、もともとある家をリノベーションするにあたって、良く言えば昔のものが大切に残している、悪く言えば捨てられずに残っているものの整理が大変でした。

■今後の展望をお聞かせください。
-飲食を経営するものとして、単純に店舗を増やしていきたいなと思います。また、この町に訪れる人が増える要素になりたいです。観光で訪れるというだけでなく、畔亭のコーヒーを飲みに行きたい、畔亭の料理を食べに行きたいと市外の人が小一時間足を伸ばして訪れてくれるようなお店になれればと思います。

■ありがとうございました。

庭園カフェ・畔亭

萩市南片河町62
℡ 0838-22-1755
11:00〜17:00(L.O. 16:30)
定休日:木曜日