連載 福岡で暮らす萩LOVEパパの子育て記 第24回

このコラムで初めて「筆が進まない」という体験をしています。新型コロナに対して、父親として社会人として平静を保てていたつもりが、実は保ててなかったのだなと、今感じています。でも今日も、いつか大人になった我が子が何かの拍子でこのコラムを読んでくれる日を思いつつ、筆を進めます。

にこ、ハル、ここだ。ここだ。松陰先生の言う「人と禽獣の分かれ道」が、まさに今ここにある。

令和2年5月、我が家は4人、朝と夕方の散歩以外はずっと家にいる。学校は始まらず、会社にも出られず、自粛要請に従って、こじんまりと過ごしている。ふつうの日常があっという間に「あの頃」に変わってしまった。あの日常が「戦前」に、あの日常が「維新前」に…ご先祖さま達もこういう感覚だったのかもしれない。
そんな「自分の力ではどうしようもない大きな大きな変化」の中で、それをコントロールする権力を持たない市民の立場で、どうあれるか?萩出身のパパは「草莽崛起」という言葉が染みついているので、何かアクションを!という気持ちにもなる。なるけれども、松陰先生は「行動」だけじゃなく「行動できないときの過ごし方」も教えてくれる。
平和な日常に大砲を載せた黒船がおしよせてきた…牢屋の中にいて、死刑かも終身刑かもしれない…教科書で結果を知っているからさほど感じないけど、その時、未来を知らない松陰先生自身の気持ちになってみよう。もし自分だったら、その日々をどう過ごすか。
パパは、茫然と流されて食欲・睡眠欲に身を任せてしまった今回のゴールデンウィークを、反省しています。下田で自首し、たたみ1畳の牢屋で金子重之助と過ごす中で「金子君、今やる学問こそ本当の学問だ」と書物をむさぼった松陰先生とは、比べる由もない。情けないです。
大きなことはできなくても、こんな日々の中でも「禽獣化」しないこと。「人たるもの」であり続けること。萩に生まれた者として、それだけは守りたいと、パパは気を引き締め直しています。ちょっと外を走ってくるわ。
追伸。萩に帰らないことが故郷孝行になる日が来るなんて思ってもいませんでした。観光の街・萩を襲っているコロナショックと、それを乗り越えようとされている官民の取り組みにSNSで触れています。出身者にできることは何でしょうか?教えてください。