■今までの人生を振り返ってみていかがですか?
-生まれてからほとんどの時間をサッカー中心の人生を送っています。サッカーが大好きな父の影響で、物心つく前からサッカーボールを蹴っていたそうですし、小さい頃は父の社会人サッカーの試合に連れまわされていた記憶があります。サッカーやフットサルを習い始めたのは小学1年生からです。当時は5.6年生の中に入って練習してたので、全然面白くなく、父やコーチにお腹が痛いとよく嘘をついて練習をサボっていました。サッカーが楽しくなってきたのは小3くらいからで、萩の同級生の中では1.2番目に上手いって自覚もあったのですが、県のトレーニングセンターに行っても通用せず、チームで県大会に出場しても勝てないといった、正に「井の中の蛙」状態でした。
大きなターニングポイントはいくつかあるのですが、その一つにあるのが、中学・高校でサッカーを教えてくれた恩師・江本先生(高川学園サッカー部監督)との出会いです。小6の時、とある大会にスカウティングに来られていた江本先生に高川学園でサッカーしないかと声をかけられ、正直なところ、当時はまだ地元、親元を離れたくなかったのですが、厳しい母に、半ば強制的に送り込まれました。高川学園に入学すると先輩たちのレベルの高さに圧倒され、それまで朧気ながら「プロサッカー選手になりたい。」と思っていた甘い気持ちは打ち砕かれました。練習はもちろん厳しく、試合に出れない先輩からの妬みなどもあり、中2の頃には、その辛さから学校を辞めて地元に帰りたいと親に告げたのですが、親が寮まで説得しにきてくれ、何とか続けることができました。その後、中3で初めて全国大会に出場し、高等部に進級。運良く、江本先生も中等部サッカー部から高等部サッカー部の監督に移られ、6年間江本先生の指導を受けることができたのは大きかったと思います。それから高1の夏に大けがで手術して、半年と少しサッカーができない時期がありました。その間、チームはインターハイと選手権で全国大会に出場し、とてももどかしい思いをしました。やっと試合に出れるようになった高校2年次はインターハイも選手権も県予選で負け、上を目指すチームメイトは進学コースを選ぶ中、僕はプロになりたいという気持ちはなく、ただ高校3年間のうちに全国大会に出れたらいいやというモチベーションで、就職コースを選んでいました。転機となったのは、高校3年次に5つか6つの大学サッカー部からオファーがあった事と、同年9月にセレッソ大阪の練習に参加できたことです。当時のセレッソ大阪には、日本代表に選出される選手や元日本代表の選手が数名いてレベルの高さに驚いたのですが、サッカーで生活するのは楽しそうだなと純粋に思え、再びプロサッカー選手を目指そうと思えるようになりました。思い出深い出来事というか、今でもモチベーションとなっている出来事として、高校3年の最後の選手権全国大会1回戦の鹿島学園との試合があります。10番を背負って出場し、対して鹿島学園の10番を背負っていたのは、この度、W杯に出場した上田綺世選手でした。サッカー雑誌には「両10番の調子が明暗を分ける」と書かれてあり、意気込んで臨んだのですが、上田選手は2点ゴールを決め、そのどちらとも僕のミスから生まれたもので、正に明暗を分ける形で1-2の敗戦となりました。試合終了後、江本先生から「これからが本番だ。上田選手に勝たなくてはいけない。」と言われ、大学4年間をプロになるために必死に過ごそうと決意します。
オファーがあった大学の中から徳山大学(現周南大学)を選び進学すると、サッカー部の先輩からプロを目指していることを笑われることから始まりました。その時から、身を置いている環境ではなく、全ては自分次第だと、流されず頑張ろうと思えるようになりました。とはいえ、個人でもチームでもなかなか結果は出せず、残せたものと言えば3年次に中国大学生リーグで得点王を獲得できたくらいでした。3年の冬、残り1年、なんとかスカウトの目に留まるように活躍できればと意気込んだ矢先、新型コロナによりリーグ戦、総理大臣杯だけでなくJクラブへの練習参加も中止。アピールする場を失い途方にくれました。監督に相談したところ、自分のプレー動画を作ってJクラブに送ってみてはとアドバイスをいただき、得点シーンを切り取り、纏めた動画を鹿児島ユナイテッドFCに送ります。同年秋にはインカレと総理大臣杯が一緒になった合同トーナメントが開催され、大学生活最後のチャンスかもと意気込んで臨んだところ、鹿児島ユナイテッドFCのスカウトの方が見てくれる前で2得点をあげることができ、声をかけられ3日間ほど練習参加させてもらいました。その後、大学の方にオファーが届き、鹿児島ユナイテッドFCへの入団が決まりました。直ぐ両親に連絡を入れたのですが、どちらとも電話に出てくれず、最初に報告したのは江本先生でした。振り返れば、江本先生との出会い、そして辛い時も背中を押してくれ、小さいころから支えてくれた両親がいなければ、プロサッカー選手にはなれていなかっただろうなと思います。
■年男を迎える2023年をどのように過ごしたいですか?
-鹿児島ユナイテッドFCに入団し、2シーズン目を終えました。1シーズン目は、16試合ほど出場しましたが何も出来ず、2シーズン目はスタメンを勝ち取るつもりでしたが、途中交代で出場するばかりで、その役割の難しさを感じながら思うような活躍は出来ず、チームもリーグ3位と僅か1ポイント差で、J2昇格は叶わず、サポーターの期待を裏切る形になりました。プロなんで当たり前のことなんですが、非難の声も耳に入り、とても辛いシーズンとなったので、3シーズン目を迎える今年は、何が何でも活躍し、結果を残せる1年にしたいです。綺麗事は抜きにして、勝ってJ2に昇格したいですし、個人としても、このままではプロでやっていけなくなるので、得点にこだわり、得点という分かり易い形で結果を残したいです。
■今後の人生をどのように過ごしたいですか?
-今が必死なので、あまり将来のことは考えられませんが、サッカー選手である以上、常に上のステージを目指していきたいです。最後の高校選手権から6年が経ち、上田綺世選手はW杯に出場しています。今もその差は埋めることはできていませんが、大学時代、先輩に笑われながらもプロになれたように、全ては自分次第だと言い聞かせ、いつかは上田綺世選手を超える選手になりたいと思います。サッカーは何が起こるかわからない面白さがあるので、諦めず頑張りたいです。そうして、いつかはサッカー選手を引退する時が必ず来るので、引退後は地元・萩、山口県で育成年代のサッカー環境を向上できる何かをしていきたいなと考えています。
■ありがとうございました。
