Re:北浦リレーションシップ 第94回 白井 大和さん(32歳)

北浦リレーションシップ94回目は有限会社 松陰堂印刷所の原田啓さんの紹介で、白井石材店・代表の白井大和さんです。

■白井石材店の創業からお聞きしたいのです。大和さんは何代目になるのですか?
-私は5代目になります。創業は今から130年前。創業者は白井道之助で、当時は住み込みで働く若衆も多く、石材店だけでなく幅広く商売をしていたと聞いています。その後、3代目となる祖父のときは戦時中で、お墓が立つどころの話でなく、従業員を引き連れて炭鉱へ行ったりもし、規模を縮小しつつ何とか凌ぎながら父の代へと繋げてくれました。私がこうやって5代目としてやっていけるのも、先祖が苦難を乗り越えてきてくれたお陰です。

■大和さんが家業を継ぐことを考えたのはいつですか?また、そのきっかけは?
-高校生のときです。兄が家業を継がないと決め、東京に出て行ったのがきっかけです。それまでは将来のことをあまり考えてなかったのですが、高校卒業後の進路を選ぶにあたって、石材店を継ぐなら石材加工について学ばなければと、日本で唯一の石材加工科のある専門学校に進学することを決めました。

■石材加工科というものがあるのですね。
-はい。石の3大産地の一つである愛知県岡崎市にあります。同窓のほとんどが岡崎市内の石材店に住み込みで日中働き、夜は学校という生活をしていました。仲間と風呂桶を手に銭湯へいく生活はとても思い出深く楽しい時間でした。

■専門学校卒業後、直ぐに家業に就いたのですか?
-いえ、実は卒業していないんです。専門学校の訓練課程は3年間あり、卒業後は1年間ほどお世話になった石材店にお礼奉公があるのですが、3年を迎える前に、父が体調を崩し、私が帰らないと家業が成り立たない状況となり、20歳のとき学校を辞め帰ってきました。

■今更ながらですが石材加工の仕事とはお墓屋さんと違うのですか?
-もちろんお墓がメインですが、お墓屋さんと違うところでは、灯篭や日本庭園の水鉢など庭石関係の加工、販売、設置もしています。

■墓石や庭石を扱うというところでは、時代の移り変わりによって業務にも変化があるように思えますが、いかがでしょうか?
-そうですね。表現が合っているかどうかわかりませんが、墓というものに対し考え方が軽くなっている時代だなと感じています。大きな墓を立てる人も少なくなりました。また、人口の流出により、墓守をされる方がどんどん居なくなっています。墓終いをされる方はいいのですが、墓終いをされずに放置されたままの無縁仏も増えてきています。“先祖を大切にする”その思いのお手伝いをさせてもらってるところもありますので、生業としても、一人の人間としても、このままで良いのかと悩ましいところです。

■ところで、ご紹介者の原田さんが白井さんのことを釣りの師匠と呼ばれてましたが、釣りは小さいころからされていたのですか?
-そうですね。小さいころもやっていましたが本格的なものになったのは25歳のころです。小さいときミニ四駆で遊んでいて、大人になり自由なお金が増え、子どものときより本気でミニ四駆を作ってるみたいな感じです。

■本格的、本気というと?
-チャレンジ精神旺盛なので、様々な釣りをやってみたいという思いが強いです。船釣りもしますし、陸釣りもします。遊漁船で見島沖の八里ヶ瀬に行ってみたり、玄界灘や五島列島まで行ったり、大物だけでなくワカサギ釣りなどもしてみたりします。

■それは確かに子どもではできないですね(笑)今後チャレンジしてみたい釣りは?
-やはり黒マグロでしょうか?日本を代表する釣り師であり「世界のモギ」と称される茂木陽一さんも一番は黒マグロと言われているので、いつか黒マグロを釣ってみたいですね。

■この時期、この北浦で釣りを楽しむなら何が狙い目でしょうか?
-3月下旬~4月上旬までですが、この時期はヤリイカが面白いですね。堤防からの浮き釣りで初心者でも凄く楽しめると思います。イカ釣りは夜なので凄く寒いですが、寒さが気にならないくらい、いっぱい釣れます。

■やはり釣り師にとって北浦は素晴らしいところなんですね!
-はい。時間があれば直ぐに楽しめますし、釣り好きには最高な土地だと思います。

■話は変わりますが、白井さんは今年50周年を迎える萩商工会議所青年部の50周年事業実行委員長だと聞きました。商工会議所青年部は何歳から入会されているのですか?
-萩に帰ってきて直ぐです。作業着を買いにいったら、当時青年部におられた方のお店で、そのとき誘われました。帰ったばかりで、社会人として商売屋として右も左もわからないからこそ、青年部に入った方が良いと思い入会しました。

■12年ですか!?驚きです。振り返ってみていかがですか?
-萩に帰ってきて3年後、23歳のときに父が他界しました。そんな私にとって青年部の先輩は、仕事においても、生活においても、色々と教えていただける恩師であり凄く感謝してます。父から受け継いだ仕事、結婚、そして子どもにも恵まれ、ほんと色々なことがあり、ただ目の前のことに一所懸命にやってきた12年でした。

これからについてお聞かせください。
-先ずは今年の青年部50周年事業を成功裏に収めれるよう頑張りたいと思います。また、地域の衰退に歯止めをかけれるよう経営者として頑張りたいと思います。若い世代が出て行くのは若い人が働きたくなるような魅力のある仕事がないからで、経営者として魅力ある会社になるよう励まなければなりませんし、一人でも二人でも雇用を増やしていければと思います。あと、田舎には田舎の魅力があり、先ほど言いましたが、私のような釣り好きにとっては、この北浦は、とても生活を楽しめる場所です。その楽しさを伝えるために、先ずは自分が楽しまないとと思いますので、今までどおり何事もチャレンジし続け楽しみながら走り抜けたいなと思います。

■それではバトンをお渡しする方をご紹介ください。
-青年部関係者が続いてますので、ちょっと方向転換させてもらい青年部関係者ではない桑原ミシン電機紹商会の桑原晋太郎さんにバトンタッチしたいと思います。

■ありがとうございました。