連載 福岡で暮らす萩LOVEパパの子育て記 第19回

今日も、いつか大人になった我が子が何かの拍子でこのコラムを読んでくれる日を想いつつ、筆をとります。
ハルくん、小学校3年生の9月19日、君は小さな嘘をつきました。通っている公文の宿題をサボって、行きづらくて、家を出たものの、公文には行かず、公園で時間をつぶして、帰ってきた。家にいたお姉ちゃんには「くもんに行ってきた」、帰ってきたパパにも「今日は放課後何してたの?」「ん?公文に行ってきたよ」と。
公文の先生から電話がかかってきて「今日ハル君来てないんですけど。新しい宿題を渡したいのですが」と。それで君の嘘はあっさりバレたのでした。それからママが仕事から帰ってくるまでの間、どんな時間を過ごしたか。一言の会話もなく食べた晩御飯の味。庇ってくれたお姉ちゃん。ママの前で泣いたこと。覚えているはずだし、覚えていてほしい。
そしてこれは昨日伝えていないこと。パパも、じいじやばあばに、いくつもの嘘をついて、ここまで生きてきた。言えずに黙ってきたこともたくさんある。だから、嘘をついたハルを叱る資格はないのだけど、パパはハルの父親なので、嘘をついたハルを叱る役割がある。嘘をついたことは、つかれた人にばれなくても、自分はずっと覚えていて、ずっと引きずっていかないといけない。積み重なった嘘の重みが、人間の爽快さや明るさを奪っていく。目に出て、顔に出る。それが君と共に生きる家族・友人・同僚の人生にじわりと影響する。
嘘は、過ちを隠すときに生まれる。過ちをゼロにすることはできない。だけど嘘はゼロにできる。嘘をゼロにできるのは正直に謝る力だよ。今、過ちをしてしまった。2つの道が見える。嘘の道を選ぶか、正直に謝る道を選ぶか。ここだ。ここだ。と、43歳のパパもそこで戦ってる。正直でありたい。パパは萩で生まれた人間だから、なおさら。
ほんの小さな嘘に、大袈裟かもしれないけど、怖いのは嘘をつき慣れることだからな。キツく叱ったことを許せよ。

(論語より。小人は誤りを犯したら必ず嘘をついてごまかす。過ちがあれば認めてすぐに悔い改める君子のすがたを、みんな、日食・月食のように仰ぎ見る)