特集 至誠館大学 卒業生インタビュー

3月といえば卒業シーズン。先日行われた高校の卒業式を皮切りに、中学、大学、小学と執り行われます。この度の北浦うぇぶでは、3月19日に卒業式を控え、卒業後は軟式野球実業団企業である医療法人和同会好生館病院(愛知県)に内定が決まった誠館大学4年生・松下綾人(りょうと)さんに大学生活を振り返ってと、これからについてなど聞いてきました。

■至誠館大学野球部でご活躍をされた松下さんですが、ご出身はどちらになりますか?また、至誠館大学に進学した経緯をお聞かせください。
-出身は鹿児島県になります。薩摩川内市にある、れいめい高校野球部に在籍し、夏は全然でしたが、秋季大会では県予選で優勝、九州大会ベスト8の成績を残すことができ、関東の大学野球部からオファーをいただけました。それまでは、専門学校に行き、理学療法士の資格を取得し、野球に携われる仕事に就こうと考えていたのでですが、大学野球部からお声がけいただき、大学でも野球をやっていこうと心変わりしました。至誠館大学に決めたのは、至誠館大学野球部・濱口善晴監督が、れいめい高校野球部監督と知り合いだったことと、野球だけでなく勉強の方にも力を注ぐことができると聞いたからです。

■至誠館大学に入学したとき、また萩に訪れたときの印象はどうでしたか?
-萩については、出身が田舎だったので特別何かを思うことはなかったですが、強いてあげるなら、住みやすそうな街だなということと、新幹線のある駅から随分遠いなということくらいですかね。あと、子どものころから釣りが好きだったので、近くに綺麗な海があるのは嬉しかったです。また、大学に入学したときは、人数の少なさに驚きました。しかしながら、人数が少ない分、生徒一人ひとりが先生と接する時間が多く、ありがたいことだなと、しばらくして感じました。

■4年間過ごした大学生活はいかがでしたか?
-ほとんどの時間を野球に費やしていましたので、キツかったといえばキツかったのですが、教員免許も取得することができ、とても充実した4年間でした。思い出といえば、中国地区大学野球リーグで1部リーグである中国六大学リーグに昇格することができ、4年の春になり同期生の多くは引退したのですが、僕は秋まで引退せず、至誠館大学野球部初となる1部リーグ残留に貢献できたことです。また、歴史好きなので、萩の歴史遺産を巡ることが楽しく、松陰神社に訪れたときは、教科書に載ってるものと同じ場所に立てていることに高揚したのを覚えています。

■卒業後のビジョンをお聞かせください。
-もともと卒業後は地元に帰るつもりでしたが、大学進学時と同様、指導者の方のご縁で就職先が決まりました。実業団野球ですので、平日日中は病院で看護助手として働きます。その後、ケースワーカーの資格を取り、事務方の仕事に移ることが出来ればと考えています。また、選手として引退する時が訪れたら、御礼奉公じゃないですが、地元に戻り、母校で野球の指導をしていきたいなと考えています。

■後輩に一言かけるとしたら何でしょうか?
-そうですね。僕たちが入学したときは、先輩の人数が少なく、1年生のときから試合に出場でき経験を積むことができました。その後、部員数は増え1学年40人~50人と大所帯となり、なかなか出場機会に恵まれない選手もいるかと思いますが、挫けず頑張ってほしいなと思います。また、後輩たちは甲子園出場者も多く、特に現3年生は強者揃いですので、1部リーグで優勝して、是非神宮球場に行ってほしいですし、その雄姿を東京まで観に行きたいです。頑張ってください。

■ありがとうございました。ご卒業後のご活躍も期待しています。