新春恒例!年男インタビュー!2025 宮本直治さん(1965年生まれ)株式会社宮本鐵工所 代表取締役

■今までの人生を振り返ってみていかがでしょうか?
-生まれてくるときに親も選べませんし、生まれてくる子も選べません。運命 (迷) が始まったのは昭和40年1月2日です。祖父が戦前昭和8年(1933年) に鞴(火をおこす際に用いられる風を送る道具)を使った鍛冶屋を営んでいました。戦後昭和23年(1948年)に仲間を集い、建築金物等の製作していたようです。私の父親は、大学進学を諦め、祖父の鍛冶屋を継承いたしました。進学したかったと思います。経済的理由という家庭の事情は時に理由にならない時代だったと思います。昭和43年(1968年) 有限会社宮本鉄工所として法人化致しました。建築金物から構造物製作にシフトした時代です。幼少期は、住まいが工場の2階でしたので、溶接ヒューム(ガス)と錆び止めの匂いが漂う環境で育ちました。それが嫌だと思わなかったのは、親の働く背中をみて生活できていたからだと思います。
小学4年生のころ、浜崎に護岸工事でクレーン付きのサルベージ船を見て、造船に携わる仕事がしたいと思っていました。その後、高校生になると橋梁 (特につり橋) に興味を持ち、大学では土木工学科で、橋梁の応力算定の計算と土圧に関する動圧密工法に憑りつかれたかのように夢中になりました。 卒業時には本州四国連絡橋も建設が完了していたということもあり、当然、橋梁メーカーへ就職を考えていましたが、悩んだ末、東京でゼネコンへ入社し一般建築の現場管理の職に就くことになります。広島に転勤になった時、私の担当していた現場のすぐ近くで、実家の鉄骨製品が現場で組みあがっていく様を観ていました。家業を継ぐ決心がつ いた時です。
3代目として、期待と不安の中で、オイルショック、バブル経済と崩壊、リーマンショック、コロナ禍を経験し挫折も味わいました。特に継いだ時の経営状態は決して良いものではなく、「金を失う」と書く「鉄」という文字が、経営の悪さを暗に示しているかのように思え、社名を宮本鉄工所から宮本鐵工所に変更してスタートしたほどです。後に「失われた30年」と表現される世の流れに巻き込まれるか否か…、しかしながら人生の節目、局面に立った時に出会う事のできた人に救われ現在に至ります。感謝しかありません。企業という基盤があったこと、親と出会えた事、生を受けた事に感謝しかないかなと。還暦を迎えた今になって思っています。

■年男を迎える2025年はどのように過ごされたいですか?
– 還暦年だから特に何かをするという事はないです。平穏無事に健康に過ごせたらと思います。休日はしっかりとって家でゆっくり出来たらと考えています。世界各国を旅するYouTubeをひたすら鑑賞していたいです。また、関東大学対抗戦、大学選手権、リーグワン等のラグビー観戦も現地に足を運び応援出来れば、違うアドレナリンが湧き元気を掻き立ててくれそうです。

■これからの人生のビジョンや目標をお聞かせください。
-企業発展のために、先駆けてすべきことを見出す事です。脱炭素経営・BCP(事業継続計画)などにも力点を置きたいと考えます。私たちの製作する構造物は「ひとの生命と財産を守る」が旨であり、製作工場が国土交通大臣認定工場である必要があります。現在認定としてはMグレードという位置ですが、ワンランク上げてのHグレードの認定工場へチャレンジする事で製作の幅を拡大出来ればと考えています。
また、事業承継も着手すべき時期が迫っているのも事実です。息子がコロナ禍で萩に戻ってきてくれたことは不幸中の幸いでした。事業継承を完了するまで、まだまだゆっくり出来そうにもありませんが、プライベートではとにかく、孫の成長が何より楽しみです。ひ孫を抱くのが夢です。
あと、萩ライオンズクラブという奉仕団体では良き仲間が多く在籍しており、プライドも要らない仲間とクラブを介して社会奉仕、地域貢献が出来たらと思っています。良き仲間と良き酒が飲めたら充分です。

■ありがとうございました。